♯1 朝

 ──声が聞こえる。
   それは、双子の少女が奏でる歌声だ。
   今朝も、ほら、こうして僕の耳に届いてくる。

「おはよう、おはよう、姉さま。
 お庭の小鳥たちも、おはよう、ごきげんよう」

 ──双子の妹は笑いながら歌っている。美しい声で。

「おはよう、おはよう、可愛い妹。
 お庭の草花たちも、おはよう、ごきげんよう!」

 ──双子の姉は歌いながら笑っている。美しい貌で。

「おはよう、あなた。
 今朝もやってきてくれた男の子」

「おはよう、あなた。
 今朝も遊びにきてくれた男の子」

 ──僕は曖昧に頷く。
   同じ声、同じ貌(かお)をした、きみたちへ。

 ──きっと僕よりも幾つか年下の、きみたち。
   この箱庭の洋館から出ることを許されない、運命の少女たち。

 ──僕は遊びに来た訳じゃない。
   朝の買い出しを終えて、帰ってきたんだ。

 ──僕も、箱庭と洋館の住人。
   きみたちのように、外に出られない訳じゃないけれど。

「きょうは、どんな歌ができるかしら」

「きょうは、草花の歌が良いと思うわ」

 ──無邪気に微笑む、外を知らないふたり。

「また、草花の歌?」

「でも、他には何も思い付かないもの!」

 ──きみたちの歌声は不思議だ。
   悲しい歌だと言う者もいるし、楽しい歌だと言う者もいる。

 ──きっと、歌に言葉がないせいだ。
   きみたちの歌の多くは、ハミングだけで出来ているから。

「言葉が知りたいわ」

「そうね、言葉が知りたいわ」

 ──囁き合うきみたちを、僕は見つめる。
   いつものように。
   この数年間と、そっくり同じに。

 ──僕はきみたちを守る。
   定められた日、定められた時まで。

 ──それが、僕の役目。






                   †††






#2 言葉

「わたしたち、知らないことばかり。箱庭からは出られない」

 双子の姉は呟きました。
 歌うように。

「わたしたち、何も教えてもらえない。目に見えることさえ!」

 双子の妹は歌いました。
 呟くように。

「なら、僕が」

 箱庭の外のことを。
 洋館の外のことを。

 僕がきみたちに伝えよう。
 そう、双子を守る少年が言ったのは、気まぐれのようなものでした。

 双子が不満を漏らすことは、珍しいことです。
 双子が希望を告げることは、珍しいことです。

 少年が役目を与えられてからこの冬に至るまでの、数年間。
 少女たちが頬を膨らませたり、口を尖らせることは、殆どありませんでした。

 珍しいこと。
 だから、つい、少年は言ってしまったのです。
 彼女らには多くを知らせるな、と命令されていたのに。

「僕がきみたちに伝えよう。多くは知らないけれど、幾らかは知っている」

「あら、本当に? 教えてくれるの?」

「素敵。あなたはいろんな言葉を知ってるのね!」

 双子の姉妹は嬉しそうに、笑いながら囁いて。
 少年は頷いてみせます。

 外のことを教えなければ。
 箱庭の内側のことだけなら。

 それなら、禁を破ることにはならないはずです。
 だから、この日、少年は少女たちに幾つかを教えることにしました。

 この日は──

 数年の時間の中で。
 初めて、多くの言葉を交わした日になりました。

「ねえ、ねえ」

「教えてちょうだい。まずはね、この」

「「この空の色は、何というの?」」

 色を知らない双子たちへ。
 少年は告げる。

「朝に訪れて夜には消えていく、この空の色。それを、人は青色と言うんだ」

「あおいろ?」妹は首を傾げて。

「青色。まあ、それは、とても……」姉は静かに頷いて。

「「素敵なひびきね」」

 花を知らない双子たちへ。
 少年は告げます。

「この庭園に咲き誇る花。これは、薔薇、と呼ばれている

「バラ。覚えたわ!」妹は笑顔を浮かべて。

「バラ。お花は、すべてがバラなのかしら」姉は首を傾げて。

「いいや、バラはこの色だけだ。赤色の……」

「赤?」

「赤?」

「夕陽と同じ色、僕らの体に流れる血と同じ色をした、この花だけさ」

「ふうん」妹は興味深そうに。

「そうなの」姉は静かに。

「「覚えたわ」」

 少女たちは喜びました。
 何かを教えて貰えることを、大いに双子は喜んでいました。

 その日はずっと、双子は少年とお話をして過ごしました。
 お話と、歌を、交互に。繰り返して。
 陽が傾いて、それこそ夕陽の赤色がすっかり空を覆う頃になるまで。

 もう、夜になります。
 空気がひどく冷たくなってきました。
 雪は降っていなかったけれど、冬の夜気は体に悪いものです。

 少年は言いました。
 今日はこれくらいにしよう。

「そうね。すっかり、遅くなってしまって」姉は頷いた。

「そうね。気付けば、息も白く……白でいいのよね、これ?」妹は首を傾げて。

「そうだよ。それは、白だ」

「なんだか、離れ難いわ。いつもと同じ箱庭なのに、不思議な気持ち」

「なんだか、離れ難いわ。わたしも姉さまと同じ気持ち。何かしら?」

「それは……」

「「それは?」」

「それは、楽しい、とか、好き、とか、そういう気持ちだよ」

「楽しい」姉は首を傾げました。

「楽しい?」妹も首を傾げました。

「好き」姉は頷きました。

「好き」妹も頷きました。

 それから、ふたりの少女は手を取り合って──

 笑顔を浮かべて。
 少年に、こう言いました。

「「色を、花を、好きを、教えてくれてありがとう」」






                   †††






#3 彼方

『守れ』

『守れ』

『守れ、少女を、尊き双子を、守らねばならない』

『約束の時まで』

 ──声が聞こえる。
   それは、彼方から響いてくる見知らぬ誰かの声だった。

 ──声が聞こえる。
   夜、双子が寝静まった後にいつも響くおとなたちの声。

 ──僕はいつも聞いている。
   箱庭の洋館で、双子が眠る寝室の片隅で、僕はいつも声を聞く。

『守れ』

『守れ』

『守れ、洋館の少女を、箱庭の双子を、守り切れ』

『約束の時まで』

 ──初めは何だか分からなかった。
   だが、数年を経た今では、僕はある程度を推測していた。

 ──これは、力だ。
   これは、彼方から響く力の言葉だ。

 ──逆らうことはできない。
   双子をここへ縛り付けるのも、僕に役目を与えるのも、すべてはこの声。

『守れ』

『守れ』

『守れ、運命の少女を、我らの希望を、目を離さずに』

『約束の瞬間まで』

 ──聞き飽きていた。
   もう、何百、何千と聞いている声だった。

 ──言われなくとも僕は役目を果たす。
   そのためだけに、僕は、きっとここへ連れて来られたのだろうから。

 ──親に棄てられた僕を。
   この声が導いて、役目を与えてくれたのだから。

『守れ』

『守れ』

『守れ。あと、ひと月』

『約束の瞬間まで』

 ──何?
   あと、ひと月。そう言ったのか?

『守れ』

『守れ』

『守れ。あと、ひと月』

『最後の瞬間まで』

 ──また、聞こえた。
   ひと月。確かに、彼方からの声はそう言ったのだ。

 ──あとひと月。何だ。
   今日から、ちょうどひと月の後には彼女たちの誕生日が待っている。

 ──十五になる誕生日。

『守れ』

『守れ』

『守れ。そして、ひと月の後に』

『神との約定に基づき、洋館の少女を、我らの希望を、運命の双子を』

『贄に捧げよ』

 ──何?

『殺せ』

『殺せ』

『殺せ』

『殺せ。さあ、ひと月の後に』

『その命。その身に流れる赤色のすべて、神へと捧げよ』






                   †††






#4 あなたI

「おはよう、あなた。
 ゆうべも椅子なんかで眠ってしまった男の子」

 ──あたしは、あなたに歌声を向ける。
   いつものように窓辺の椅子に腰掛けた男の子へ。

 ──朝の陽差しの中にいる、あなた。
   いつもと同じ、小鳥たちの囀る歌声の中にいるあなた。

 ──ああ。もしかして。
   姉さまより先におはようを誰かへ言うのは、初めて?

「おはよう、あなた。
 我慢強いあなた。この大きなベッドに入ればいいのに」

 ──姉さまも、あなたに歌声を向ける。
   いつもあたしたちを見守ってくれる男の子へ。

 ──きのう、多くを教えてくれたあなたへ。
   色と、花と、好きを教えてくれた年上のあなた。

 ──ああ。きっと姉さまもそう。
   覚えたばかりの言葉を、あたしはあなたに思う。

「おはよう、おはよう、姉さま。
 あたし、気付いてしまったことがひとつあるの!」

「おはよう、おはよう、可愛い妹。
 わたしも、あなたと同じことを思っているのね」

「すてきね」

「ええ、とっても」

「あたしたち」

「わたしたち」

「「あなたのことが、好きよ」」

 ──ありがとう。
   気持ちを言葉にするすべを教えてくれて。

 ──ありがとう。
   あたしたちを見守ってくれて。

 ──ありがとう。
   いつも、外に出られないあたしたちの世話を焼いてくれて。

「僕も……」

 ──あなたは曖昧に頷く。
   同じ声、同じ貌(かお)をした、あたしたちへ。

 ──あたしたちよりも幾つか年上の、あなた。
   この箱庭の洋館にいなくてはならない男の子。

 ──外に出る時も、決して、遊びになんて行けないあなた。
   買い出しとか、そういうことでしか出られない。

 ──あなたも、箱庭と洋館の住人。
   あたしたちのように、外に出られない訳じゃないけれど。

「きょうは、きっと素敵な歌を作れるわ。ねえ、姉さま」

「きょうは、ずっと素敵な歌になりそう。ええ、可愛い妹」

「きょうは、彼の歌がいいと思うわ!」

「そうね、それがいいわ」

 ──互いに微笑む、あたしたち。

「きのうからずっと考えていたの」

「ええ。わたしたち、もう、草花以外のものを歌えるものね」

 ──あたしたちは知ったの。
   きのう、あなたに教えて貰えたのだから。

 ──好きの気持ちをたっぷり込めて。
   ハミングでなく、言葉に想いを込めて歌うことができるはず。

 ──きっと、できるわ。
   きのう、あなたに教えて貰えたのだから。

「言葉を知ったわ」

「そうね、言葉を知ったんだわ」

 ──囁き合うあたしたちを、あなたが見つめる。
   いつものように。

 ──あたしたちはあなたに微笑んでみせる。
   いつものように。
   この数年間と、そっくり同じに。

 ──さあ、歌おう。
   初めて知った言葉に、ずっと感じていた気持ちを乗せて。込めて。

「好きよ、姉さま。そして、あなた」

「好きよ、可愛い妹。そして、あなた」

「あたしたちは世界のことなんて何も知らないけれど」

「わたしたちは外のことなんて見たこともないけれど」

「わかることがあるの」

「わかることもあるの」

「あたしたち、3人のこと」

「わたしたち、3人のこと」

 ──微笑み合って。
   あたしと、姉さまは、歌うの。

 ──こころを。
   きもちを。
   朝の訪れを告げる小鳥たちに、輝く陽差しに、誇らしげに告げるの。

 ──言葉で。歌で!

「好きよ、あなた」

「好きよ、あなた」

「好きよ、この小さな箱庭の内側にある何もかも」

「好きよ、この小さな世界の内側にあるすべて」

 ──あなたの手を取る。
   それは、あたしからだった?

 ──あなたの手を取る。
   それは、姉さまからだった?

 ──わからない。
   もしかしたら、それは、あなたのほうからだったのかも知れない。

「僕は……」

 ──あなたが呟く。
   残念なことに、歌声ではなかったけれど。

 ──あなたが呟く。
   嬉しいことに、それは、今まで聞いたあなたの言葉の中で、一番。

「僕は、きみたちを連れて行く。
 箱庭の外に出よう。約束の時が来るよりも先に、ここを逃げだそう」

 ──言葉。

 ──気持ち。

 ──今までで、一番。どきどきする言葉だった。






                   †††





#5 あなたII


 ──脱走は、夜に始まった。

 ──それは、すぐには信じられないくらいの、初めての出来事だった。

 ──それは、初めて、どきどきする気持ちをわたしたちに与えた。

「手を、決して離さないで」

 ──あなたが囁く。
   わたしは頷いて、わたしの隣で可愛い妹も頷く。

「麓の街には出られない。街道も駄目だ。だから、森を行くよ」

 ──あなたが囁く。
   わたしは手を強く握り返して、可愛い妹も同じように。

 ──あなたの右手に縋り付く。
   わたしたち、ふたり。

 ──あなたの右手に、わたしたち。
   あなたの左手に、小振りのランタンがひとつ。

「大丈夫。一度、森を抜けたことはあるんだ。
 森さえ抜けてしまえば、丘に出る。湖を越えれば隣の国へ着くはずだ」

「隣の国?」

「国というのは、何かしら」

 ──わたしは、尋ねてしまう。
   あなたの顔を見て、ああ、そんな場合ではないのねと思うけれど。

 ──つい、言葉が出てしまう。
   だって、あなたが言葉をくれるのは、好き、だから。

 ──可愛い妹だって同じ。
   あなたの言葉が好きなの。あなたが好き。

 ──だから、あなたについていく。
   わたしたち、ついていくわ。
   一度だって箱庭の外に出たことはないけれど、あなたが出たいと言うなら。

「国は……人が沢山いて、その、なんだろう。僕にもよくわからない」

「ふふ。おかしなあなた」

「そうね、おかしいわ。後でゆっくり教えてね」

 ──わたしの言葉に、あなたは頷く。
   輝くランタンを掲げて。

 ──夜の闇を引き裂いて、あなたは歩く。足早に。
   わたしたちは手を握ってついていく。

 ──夜の森をかき分けて、あなたは歩く。足早に。
   わたしたちは頷き合ってついていく。

 ──こんなにたくさん歩いたの、初めてね。
   だって、こうして歩く森は、わたしたちの箱庭の何倍もあるのだから。

 ──歩いたら、すぐに、石の壁に当たる。
   それが箱庭。

 ──森は、違うのね。どこまでも続いてる。
   ああ、ほら、どこまでも暗くて、どこまでも茂っていて。

「すまない。つらい、嫌な思いをさせてしまって」

「つらい? 嫌?」

「それはどういう意味の言葉なのかしら」

「好きの、反対の意味だ。ごめんよ」

 ──あなたの声が沈んでしまう。
   ああ、そんな風に、あなたは言ったりしないで。

 ──わたしはまた、可愛い妹と頷き合う。
   同じ気持ちね。ええ。

 ──ずっと、おなじ気持ち。
   可愛い妹。あなたと同じ、わたしと同じ、気持ちはきっといつだって同じ。

「そんなことはないわ。わたしたち、今もずっと、同じ気持ちよ」

「そうですとも。あたしも姉さまも、今もずっと、同じ気持ち!」

「こうして手を握られるなんて」

「こうして一緒に歩けるなんて」

「「好きよ、あなた」」

 ──言葉、重なって。

 ──気持ち、重なって。

 ──ふたりとひとり、暗い暗い森の中で寄り添いながら。

 ──歩いて行くの。
   あなたと、わたしたち。3人で。

 ──どこにだって行けるわ。
   箱庭の外、出ようとなんて一度も思ったことはなかったけれど。

「あなたが、そうしたいなら、そうするわ」

「あなたが、外へ出たいなら、外へ出るわ」

「森を歩くことも」

「夜に歩くことも」

「わたしたち」

「あたしたち」

「「あなたと一緒なら、何でもする、何でもできるって、約束するわ」」

 ──あなたの掲げるランタンが輝いて。
   ほら、もう、暗がりの森の終わりが見えてきた。

 ──可愛い妹が声を上げる。
   ううん、わたしも同じように声を上げていた。

 ──自然と、歌を奏でてしまう。
   わたしたちは、輝きを掲げて、手を繋ぎながら森を出て、空を仰ぐの。

「綺麗! 姉さま!」

「ええ、綺麗。可愛い妹」

 ──広い、広い、空。
   箱庭から見上げていたものよりも、ずっと大きな、星々の明かり浮かぶ空。

 ──どこまでも続く、なだらかな黒いもの。
   あれが、丘というもの?

 ──初めて見るもの。
   そのすべてに、わたしは、わたしたちは気持ちを感じて。

 ──わたしたちは歌う。
   好きの気持ちをいっぱいに、声に、言葉に乗せて。

 ──手の中の温もりを確かめながら。
   あなたがいて、わたしたちがいることを確かめて。

 ──どきどきしながら、歌うの。
   箱庭の外に出てしまった、絶対に、出てはいけなかったのに。

 ──誰に言われたかなんて覚えていない。
   わたしたちは、ずっと、箱庭と洋館だけが世界だったから。

 ──他の誰かなんて知らない。
   いる訳もない。

 ──でも、知っていた。箱庭の外に出てはいけない、と。

 ──でも、こんなに簡単に出られるなんて。
   あなたがいれば、わたしたちに、できないことなんてないのね。

「胸が、どきどきするわ、姉さま」

「ええ。どきどきするわね、可愛い妹」

「姉さまも?」

「ええ、勿論」

「ねえ、あなたは──」

 ──可愛い妹が、あなたに声を掛ける。
   わたしも、歌声混じりに。

 ──すると。

 ──そこには。

「馬鹿な……」

 ──立ち尽くす、あなたの姿。
   どうして、そんなに沈んだ声をしているの?

「森を、抜けたはず……」

 ──立ち尽くす、あなたの姿。
   どうして、そんなに青ざめた顔をしているの?

「どうして、箱庭の壁が、ここに……」

 ──立ち尽くす、わたしたち。
   どうして、わたしたちの目の前には大きな大きな壁があるの?

 ──見えたはずの、空も。
   見えたはずの、丘も。

 ──すべて、すべて、消えてしまって。
   わたしたちの前には、いつもの、箱庭の、冷たい石の壁だけ。



『すべて、神へと捧げよ』



 ──そして、世界は、暗転する。





                   †††






#6 世界の果て

 世界には果てがある。

 誰も乗り越えることのできない最果て。壁。行き止まり。終わり。
 そのことを少年は知らなかったし、当然、双子の少女も知るはずはなかった。

 少年は箱庭の草花を整えるためのナイフを抜いて、抵抗したかも知れない。
 星明かりの下で白刃が閃いて──

 命の赤色が迸ったかも知れない。

 叫ぶ言葉があったかも知れない。

 尊い気持ちがそこには込められたかも知れない。

 けれど。
 結論から言えば。
 彼らが森を抜けることはなかった。

 夜が明けるよりも前に、少女たちは箱庭の中へ連れ戻されることになった。
 一ヶ月後に迫った“約束の日”のため、念入りに処理が行われた。

 箱庭と洋館には平穏が取り戻された。
 そして、役目に背いた少年の行方は杳として知れない。

 そう。
 少年は、姿を消した。

 消えた?
 消された?

 それとも──






                   †††






#7 歌

 ──声が聞こえる。
   それは、双子の少女が奏でる歌声だ。
   今朝も、ほら、こうして互いの耳に届いてくる。

「おはよう、おはよう、姉さま。
 お庭の小鳥たちも、おはよう、ごきげんよう」

 ──双子の妹は笑いながら歌っている。美しい声で。

「おはよう、おはよう、可愛い妹。
 お庭の草花たちも、おはよう、ごきげんよう!」

 ──双子の姉は歌いながら笑っている。美しい貌で。

「おはよう」

「おはよう」

 ──同じ声、同じ貌(かお)をした、双子たち。
   互いに頷いて。

 ──この箱庭の洋館から出ることを許されない、運命の少女たち。

「きょうは、どんな歌ができるかしら」

「きょうは、草花の歌が良いと思うわ」

 ──無邪気に微笑む、外を知らないふたり。

「また、草花の歌?」

「でも、他には何も思い付かないもの!」

 ──ふたりの歌声は不思議だ。
   悲しい歌だと言う者もいるし、楽しい歌だと言う者もいる。

 ──きっと、歌に言葉がないせいだ。
 ──ふたりの歌の多くは、ハミングだけで出来ているから。

「言葉が知りたいわ」

「そうね、言葉が知りたいわ」

 ──囁き合うふたりを、見つめる者は誰もいない。

 ──見守る者はもういない。
   まるで、始めからそうであったかのように。

「空の色が知りたいわ、姉さま」

「わたしも、空の色が知りたいわ。可愛い妹」

「花の名前を知りたいわ、姉さま」

「わたしも、花の名前を知りたいわ。可愛い妹」

「あたしたち、何も知らないのね」

「わたしたち、何も教わったことがないのよ。ここには誰も来ないもの」

「「何かを教えてくれる、誰かがいればいいのに」」

 ──囁き声と、歌声を、交互に響かせながら。
   ふたりは瞼を閉じる。

 ──そうして、互いの手のひらをそっと重ねて。
   いつかの夜のように握り合って。

 ──囁く。歌う。

「空が、好き」

「ええ、好き」

「花が、好き」

「ええ、好き」

「好きよ、ずっと一緒にいる、あたしの姉さま」

「好きよ、いつまでも一緒の、わたしの可愛い妹」

「「大好き」」

 ──瞼、閉じたまま。

 ──手、重ねたまま。

 ──囁く。歌う。

「あたしたち、何も知らないのに……」

「わたしたち、何も教わったこともないのに」

「「好き」」

「「その言葉だけ、知っている」」

「「誰が……」」

「誰が教えてくれたのかしら」

「よく、思い出せないわ。最初から……」

「最初から知っていたの?」

「どうかしら」

 ──瞼、開いて。

 ──手、離して。

 ──ふたりは、空を仰ぐ。



 ──傍らにいたはずの誰かの姿は、既になく。
   歌声に寄り添う言葉も。ない。





(了)




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